富士平原GC かわら版

4月の富士山伝説


   【写真家・岡田紅陽】
岡田紅陽氏は生涯、40万枚に及ぶ富士山の写真を撮り続けた写真家です。
代表作のひとつである「湖畔の春」は、旧五千円札と新千円札に描かれた
富士山のデザインの基となった写真として有名です。

早稲田大学の学生だった頃、富士に出会い、生涯富士山撮影に身を
捧げる決意をしました。
大学卒業後、東京府の委嘱を受け、自身も被災者となった関東大震災の
被災地を撮影、記録した「関東大震災記念写真帖」が国際赤十字社の
加盟国へ配送されました。
また、富士山とともに全国の国立公園など美しい日本の風景を撮影し
海外からも注目を浴びる事となります。


 その後、終戦を迎え紅陽氏はますます
 富士山の撮影に没頭します。
 その表現方法は斬新であり、人心を
 驚嘆させました。
 時には厳しい雪中富士登山を決行し、
 その時の作品が新聞に連載され話題
 にもなりました。
 昭和40年、富士写真協会を設立、
 会長となり、昭和43年天皇陛下に
 富士写真(神龍霊峰)を一面献上し
 写真作品としては初の正式献上の
 栄に浴する事となりました。
 
また、翌44年には、日本観光写真連盟設立理事長に就任するなど
華々しい活躍のかたわら、冬、重い撮影機材を背負ったまま滑落、
凍死寸前で救助されたり、富士山の事を「ふじこ」と呼び、ある時は
「今日はふじこの機嫌が悪かったようで逢う事が出来なかった」
と常宿に戻ってきたとの話や
「俺が死んだら富士の見える所へ、路傍の石を積んで埋めてくれ、
何処でもかまわない。」と、妻の智恵子さんに口癖のように言って
いたそうです。
 
 その後、多くの仲間や紅陽氏を尊敬する
 人々によって、河口湖の産屋ヶ崎に
 紅陽顕彰碑が作られました。
 紅陽氏は晩年
 「一枚として同じ富士は写しておりません。
  ましてや心の富士山はいまだ撮りえてはおりません。」
 と語ったそうです。

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