富士平原GC かわら版

富士山の名前の由来

   
富士山の名前は古代からいろいろな表現がされています。
ごく一般的なのが「不二山」。他に比べようがない唯一無二の高峰という意味です。
「不尽山」は、山の頂に年中、雪が絶えないという意味のようですが、御承知のように夏の富士山には冠雪はありません。余りの大きさを”尽きる
ことなき”と表現したのかもしれません。万葉集の山部赤人の歌「田子の浦ゆ、うち出て見れば真白にぞ、不尽の高嶺にゆきはふりける」で有名です。
万葉集ではこのほか、「布士」「布自」の文字が使われていますが、万葉仮名は一種のあて字なので、「ふじ」と呼ばれていたことだけは事実のようです。
「不死山」は竹取物語のように、不老不死の伝説からきています。
「福寿山」というめでたい名前がなまったという説、「富慈山」からきた名前だという人もいますが、いずれもあて字のように思われます。
「富士山」という今日の書き方は、士に富む山という意味で、武士道が発達する鎌倉時代以降のものとみられます。
名称の由来についてこのほか、アイヌ語の「フンチ」(火の神=火山)、マレー語「フジ」(すばらしい)などからきたという説があります。
富士山を「芙蓉」と称するのは、頂上噴火口の形から来たものと思われます。

5月の富士山伝説


        流鏑馬祭り
流鏑馬(やぶさめ)とは、走る馬上から的を射る武芸の一つであり、
神社や神前へ奉納される神事とされています。
1193年、源頼朝が富士の裾野で巻狩をおこなった際、
富士山本宮浅間大社へ流鏑馬を奉納し
武運長久・天下泰平を祈願したそうです。
その後、800余年にわたり、現在でもこの流鏑馬は
本宮浅間大社の祭儀として継承されています。

祭りでは前日から富士川川原祓、馬場祓、かむなかけの儀など
さまざまな祭儀が行われ、また当日には流鏑馬式の他に
古式射手、練行なども行われます。
また、特殊神饌として甘葛(あまずら)が供えられます。
甘葛とは、もとは葉を煎じ甘茶として飲まれたようですが
現在は、樹液のままお供えされ参列者にも授与されます。
製法は代々甘葛太夫をつとめる深澤家の秘伝となっています。

4月の富士山伝説

       

    御殿場の桜まつり
今年は例年に比べ桜の開花時期が5日程度遅くなるようですが
当ゴルフ場へご来場の際には、風物詩のひとつとされております
桜と富士山の見事なコントラストを、是非ご堪能下さい。
 
また、毎年この時期になりますと、御殿場では
さまざまな桜まつりが開催されます。
昼とは違った雰囲気の桜を見ることが出来る
夜のライトアップなど、プレーの後にもご観賞
出来ますので、お時間がございましたらお立ち
寄り下さい。
【第10回御殿場桜まつり】
 ★ライトアップ
  ・御東原循環線…4/7~4/22 18:00~21:00
  ・秩父宮記念公園…4/12~4/15 18:00~20:30
  ・平和公園… 4月中旬 日没~21:00
  ・東山観音堂…4月上旬 日没~22:00
  ・富士山樹空の森…4/20~4/22 18:00~20:30
 ★イベント開催
  ・秩父宮記念公園…4/14 9:00~20:30
              …4/15 9:00~19:00
  ・富士山樹空の森…4/21・4/22 9:00~20:30

【時之栖(ときのすみか) 桜まつり】
当ゴルフ場の宿泊プランでお馴染み
時之栖園内の桜は河津桜&ソメイヨシノが
合わせて2000本、露店や桜のライトアップが
行われます
 ・4/7~(終了日は桜の開花状況により変動となります)

 ※イベントの内容は開花状況などにより
   変更になる場合がございます。

3月の富士山伝説


        雛のつるし飾り
今年も富士平原・クラブハウス内には当クラブの
キャディさんが丹念に作った「雛のつるし飾り」が
4月3日まで飾られています。
  
この「雛のつるし飾り」は江戸時代後期から伝わる
伊豆稲取地方の風習で、娘の初節句に無病息災、
良縁を祈願して雛壇の両脇に細工をつるし
無事成長し良縁を得た頃、大願成就のお礼を込め
正月のどんと焼きに納められました。
それゆえ、古いつるし飾りはほとんど残されず
母親やおばあちゃんが縫ったものを納めきれずに
そっと大切にしまっておかれた数少ないお手本から
型紙が起こされ、今では25万人の来場者で賑わう
伊豆稲取を代表するお祭りとなっています。
 
また、御殿場にある秩父宮記念公園では
「第九回つるし雛飾り展示会」にて御殿場農協
つるし雛同好会の方々により作成された
100体5000個のぬいぐるみとともに、辰の置物や
貝雛なども、3月18日まで展示されています。
 

2月の富士山伝説


        節分祭
富士山本宮浅間大社では、2月3日に節分祭が行われます。
節分祭は、立春の前日に行う悪疫退散、招福の行事です。

日本では古来、季節の変わり目を祝う行事があったと
思われますが、現在の節分祭は、中国より伝えられ
室町時代中期より盛んになりました。
  
別名を追儺式(ついなしき)ともいい、節分のご祈祷・
鳴弦式・年男の豆まきや施設慰問などが行われ
厄除招福を祈ります。

1月の富士山伝説


         初 夢
初夢とは「元日の夜または1月2日の夜に見る夢」
とされていますが、江戸中期頃からは1月2日に
就寝して見る夢を指すのが一般的であったようです。
 初夢で良い夢を見るために
 宝船の絵とともに「なかきよの
 とおのねふりの みなめさめ
 なみのりふねの おとのよきかな」
 (長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め
  波乗り船の 音の良きかな)
 という回文の歌を書いたものを
 枕の下に入れて眠るおまじないが
 あります。
 このおまじないをして悪い夢を
 見てしまった時には、翌朝
 宝船の絵を川に流して縁起直しを
 するそうです。
初夢で見ると縁起が良いものを表すことわざに
「一富士ニ鷹三茄子」があります。
起源についてはさまざま言われておりますが、
江戸時代、駒込富士神社の周辺に鷹匠屋敷があった事、
駒込茄子は名産物であった事に由来するという説や、
・徳川家縁の地、駿河国での高い物の順として、
  富士山・愛鷹山、初物の茄子の値段とされた
・徳川家康が好んだもの
・日本三大仇討ち・曾我兄弟の仇討ち(富士の裾野)、
  忠臣蔵(主君浅野家の紋所が鷹の羽)、鍵屋の辻の
  決闘(伊賀の名産物が茄子)にちなんで
・富士は「無事」、鷹は「高い」、茄子は事を「成す」
などが文献資料に残されています。

また地域により四以降が続く場合もあり、
「四扇(しおうぎ、よんせん)・五煙草(多波姑)(ごたばこ)・
 六座頭(ろくざとう)」は
・富士&扇=末広がり
・鷹&煙草=上昇する
・茄子&座頭=毛がない(怪我ない)
との縁起担ぎの語呂合わせとして使われたようです。

12月の富士山伝説

   
  
         かぐや姫と富士山
 皆様よく御存知の竹取物語(かぐや姫)ですが
 かぐや姫は最後の別れの時、帝への贈り物として
 文と不死の薬、天の羽衣を残していったそうです。
 
 しかし帝は「かぐや姫のいないこの世で不老不死を得ても
 意味が無い」と、駿河の国にある日本で一番高い山にて
 薬を焼くように命じ、その煙は今も雲の中に立ち上り、山頂に
 積もっていた雪は溶ける事が無くなったそうです。
 
 
 また、富士山の名前の由来が
 「不死の薬を焼いた山」から来たという説や
 薬を焼く時に、兵士を大勢連れて山へ登ったので
 「士に富む山」から名付けられた、とも伝えられています。

11月の富士山伝説


       だいだらぼっち
 だいだらぼっちは「でいだらぼっち」「だいらんぼう」
 「だいだらぼう」など各地方により呼び名が若干違って
 はいますが、皆共通して相当の巨体だったと云われる
 日本各地に山や湖沼を創ったとされる伝説の巨人です。
 このだいだらぼっちが、甲州の土を取り、土盛りをして
 富士山を創ったという昔話が残されています。

 富士山を創った後、浅間山が自分より背の高い
 富士山に嫉妬し、土を自分に分けろと言いました。
 富士山が了解したので、だいだらぼっちは自分の
 前掛けで土を運びましたが、土の量が足りないと
 浅間山は怒ってだいだらぼっちを叩いた拍子に
 土をこぼしてしまい、それが前掛山となり
 更に怒りだした浅間山はついに噴火して
 しまったそうです。

 その他にも、だいだらぼっちが子供達
 を掌に乗せて歩いているとき、腰の
 高さまである山を跨いだ拍子に子供達
 を掌から投げ出してしまい、びっくりした
 子供達とだいだらぼっちは泣き出し
 手をついて出来た窪みに涙が流れ込んで
 浜名湖となった話なども残されています。

10月の富士山伝説

 
     【 バーチャル富士登山 】
 女性やお年寄り、体力のない人、
 遠くの人など江戸時代、富士山に
 行きたくても行けない人たちのために
 各地に「富士塚」が作られました。
 
 登れば富士登山と同じご利益が
 あるということで、関東地区を中心に
 沢山作られました。
 
 今でも、東京の江古田富士や
 下谷坂本富士など、山開きの
 行事をする富士塚が残っています。
 

9月の富士山伝説

 
     【 女人禁制でした 】
神仏を祀ってある山や零場は女人禁制が
ほとんどでした。
江戸時代、富士山に女性が登れるのは
2合目まででした。

1832年(天保3年)、富士講の大行者
禄行三志に伴なわれ、江戸深川
生まれの「高山たつ」が女性で初めて
富士山に登頂しました。
人の少ない旧暦9月26日(10月下旬)
を選び、男の格好で登ったそうです。

女性の富士登山が許されたのは
それから40年も経ってからです。

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