富士平原GC かわら版

9月の富士山伝説

 
     【 女人禁制でした 】
神仏を祀ってある山や零場は女人禁制が
ほとんどでした。
江戸時代、富士山に女性が登れるのは
2合目まででした。

1832年(天保3年)、富士講の大行者
禄行三志に伴なわれ、江戸深川
生まれの「高山たつ」が女性で初めて
富士山に登頂しました。
人の少ない旧暦9月26日(10月下旬)
を選び、男の格好で登ったそうです。

女性の富士登山が許されたのは
それから40年も経ってからです。

8月の富士山伝説


     【 聖徳太子が初登頂 】
藤原兼輔が書いた「聖徳太子伝暦」
によると太子が27歳のとき、献上された
黒い甲斐馬にさっそうとまたがると
手綱を握った麿と共に空を飛び
一瞬のうちに富士山頂へ着いてしまった
ということです。

3日目に「富士山麓をめぐったり
信濃方面も見てきて面白かったよ」
と言いながら帰ってきたそうです。
飛鳥時代のスーパースターは
常人とは違いますね。
  

7月の富士山伝説


     【 富士山を愛した外国人 】
明治37年に初来日した人類学者のスタール博士は
アメリカに初めて日本学講座を設けた親日家です。
後に日米親善に貢献したことで
皇室から勲三等瑞宝章を授与されました。

日本に親しみ、五ツ星紋の羽織、仙台平の袴に白足袋を履き
東京納札会に入って、自ら「壽多有」(スタール)の納札を作り
日本各地の神社・仏閣を行脚し「お札博士」と呼ばれました

また、富士山が大好きで
須走口の大米谷旅館を常宿にして
5回登頂しました。

「富士山の見える所に眠りたい」
という遺言通り、友人達や宿のご主人の
ご尽力で須走に墓碑が建てられました。
今も、当時の宿のご家族が墓碑の
お世話をしています。

6月の富士山伝説


     【 すごい登頂回数 】
 1672回。
 これは、「強力」の仕事をしていた梶房吉さんが
 50年間に山頂に登った回数で、日本一と言われています。
 
 (約100年前の3合目の様子)
 一般の人では、秦野市の佐々木茂良さんが、
 64才から登り始めてからの5年間で、
 660回山頂へ到達しています。
 
 佐々木さんによると、登山靴が1ヶ月でボロボロになるのと、
 秦野市の自宅から登山口までのガソリン代が大変だそうです。
 
  

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5月の富士山伝説


  【 富士山の住所 】  
富士山は、静岡県と山梨県に
またがっています。
山頂はどちらの県のものでもなく、
富士山本宮浅間大社の境内です。
住所はありません。
地図を見ると、県境界線は頂上で
切れています。

富士山頂郵便局への郵便の宛先は
「〒418-0011 富士山頂郵便局」ですが、
郵便物は富士宮局留めになります。

4月の富士山伝説


   【写真家・岡田紅陽】
岡田紅陽氏は生涯、40万枚に及ぶ富士山の写真を撮り続けた写真家です。
代表作のひとつである「湖畔の春」は、旧五千円札と新千円札に描かれた
富士山のデザインの基となった写真として有名です。

早稲田大学の学生だった頃、富士に出会い、生涯富士山撮影に身を
捧げる決意をしました。
大学卒業後、東京府の委嘱を受け、自身も被災者となった関東大震災の
被災地を撮影、記録した「関東大震災記念写真帖」が国際赤十字社の
加盟国へ配送されました。
また、富士山とともに全国の国立公園など美しい日本の風景を撮影し
海外からも注目を浴びる事となります。

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